久しぶりに憤りを感じる出来事がありました。
とある地方の小学校で、高学年クラスを担当していた20代の教師が6月の初旬に亡くなられました。
前々から心の病を抱えておられ、今年度に入り休職していた矢先の出来事でした。
自身の不調を抱えながらも児童の変化に目を配り優しく寄り添ってくれる先生ということで、慕う児童も多かったそうです。
だからこそ、児童たちも先生の異変に気付いていたようで、「怒り方が怖くなった」「叱っているんじゃなくて感情が爆発してる感じ」という印象を持っていたようです。
学校側の対応は、噂で耳に入る前にきちんと説明しようということで、まず最初に児童に説明があったようです。
児童へと保護者に対する敬意が感じられ、信頼感がありますよね。
その後、保護者会が開かれ、事の経緯の説明と共に児童の心のケアについての話となりました。
そこまでは真っ当で必要十分な対応です。
しかし問題はここからです。
保護者会に出席していたカウンセラーは、児童への対応について保護者にある指示を出しました。
それは、「先生は病気で亡くなった、児童へはこう説明したので、これで統一してください。」という内容でした。
カウンセラーの皆さんは、この説明のどこに問題があるのかお分かりになりますか。
病気で亡くなられたことはある意味事実ではありますが、ここから子供たちが受け取るメッセージはこうなります。
→「都合の悪い事は隠して無かったことにすればいい」
「心の病は隠さなければならないような事」
です。
子供は、当たり前ですが大人よりも人生経験が浅いです。
幼いながらも、自分の持つ知識や感性を総動員して、不可解な出来事も受け入れていこうと努力します。
大人が下心を持ち、子供の思考をコントロールしようとすることで、健全な心の発育を大きく妨げることになります。
この一大事に行政の委託を受け、保護者に説明をするという大役を任されておられるくらいですから、恐らく国家資格をお持ちの心理士の方ではないかと推察します。
立派な資格をお持ちでありながら、保護者会での説明が子供達の心のケアどころか悪影響を及ぼしかねないという事が分かっておられなかったのだろうか……と強い憤りを感じました。
たとえ行政側からの指示であったとしても、職業倫理と自分の良心に照らし合わせ、深く考えて判断すべきだったのではないでしょうか。
それができるだけの資質をもっているという認定が国家資格であるべきです。
これこそ、日本でカウンセリング文化が育たない大きなボトルネックであると感じます。
カウンセラーには、国が認めるものから民間のものまで多くの資格が存在します。
私は、その中で産業カウンセラーという資格を取得しました。
心理学の基礎を学び、クライエントさんが安心して相談できるという信頼の形が資格です。
どれを持っていなければならないというものではありませんが、どれを持っているから優れたカウンセラーという判断も出来ません。
前述したように、国家資格を取ったからといってできる簡単な仕事ではないのです。
資格を取得したもののカウンセリングの難しさをしみじみと実感されている方、感受性豊かな日本人こそカウンセリングを活用した建設的な生き方を身に付けることが重要であると痛感されている方は、ぜひご相談ください。
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