夏休みで子供達と浮かれている間に、世間では色々なことが“事件”として取り沙汰されていたようで、今更ながら気になった話題について書かせていただきます。
DJ SODAさんがフェスでワイセツ行為を受け告発、加害者がYouTubeで顔出し謝罪するという、これまでにない展開となっていますが、カウンセラーの皆さんはどのように捉えておられますか?
被害者、加害者、どちらからもカウンセリングを依頼される可能性がありますよね。
もちろんカウンセリング中はクライエントさんのために全力で向き合われると思うのですが、被害者側には「可哀想に」と同情し、加害者側には「あの状況では仕方ないよね」と理解を示すことが共感である、とは、まさか思っておられないですよね。
今、ドキッとした方、その動揺は正解です。
クライエントさんに合わせて日和見的に寄り添うことは本当の意味での共感ではありません。言わば“サービス共感”であり、そんなものはすぐに見抜かれ、ラポールは瞬く間に崩壊します。
カウンセラーになるためには決まった資格があるわけではなく、国家資格から民間のものまで様々あり、どれを持っているから腕があると図れるものでもないのが現状です。どの養成講座でも『受容、共感、自己一致が重要である』と習うとは思うのですが、真の共感とはどういうものであるかを教えてくれるところはなかなかありません。なぜなら、読むだけで習得できるような簡単なものではないからです。それを実現させるためには、カウンセラーが自分自身の考えや価値観を明確に持っておかなければなりません。つまり、根底にカウンセラーの人間力が必要ということです。1人ひとりの人生に意味があり、それぞれのやり方で自分を磨いていくから価値がある、それが分かっている人は、自分の磨き方のHow toを教科書に求める必要なんてありませんから。
今回のDJ SODAさんの件では、触った方が悪いのか、露出した方が悪いのか、鶏か卵かのような論争になっており、全体を俯瞰して見て、自分の主張を押し通そうと躍起になっている人々の稚拙さにガッカリしているというのが私の正直な感想です。以前にも書かせていただきましたが、全ての物事は一面だけで成り立っているわけではありません。表裏、前後ろ、右左、白も黒もあり、そしてその間には無数のグレーがあります。被害者の主張も加害者の主張も、それぞれに一理あり、そしてとても身勝手です。それら全てを踏まえた上で、さぁあなたなら、どのようにカウンセリングしますか?
私個人としては「好きな格好をすればいい、但しそれによる影響も引き受けた上で」と考えています。フェスがどういう場所であり、飲酒が人にどのように作用するか、群集心理とはいかに、というのが理解できていないにもかかわらず人前でパフォーマンスをするという仕事をし「好きな格好して何が悪いの、触った方が100%悪い」という一方的な主張を押し通そうとするのだとしたら、自分の評価を下げてしまうだけなので勿体ないなぁと残念でなりません。某芸能事務所の未成年達がシュークリームを投げて遊んでいたのと、自覚の無さで言ったらレベルは同じです。
我が家の小2の娘もお洒落が大好きです。
アイドルに憧れ可愛い格好を好むため、自由に好きな格好をして自分を表現して欲しいとは思いますが、彼女の思いとは裏腹に、その格好に影響を受ける大人たちが少なからず存在することも事実です。その背景には様々な原因や理由があり、『悪い事は悪い』と法律で正論をかざしても理屈が通らない時もあるのです。犯行時ともなれば精神状況も冷静ではないと推測され、事が起きてからどんなに文句を言ったって、時間は二度と戻らないのですから、無かったことにはできないのです。
「大事な娘の心身を傷つけるようなことは一切許さない、それがたとえ娘自身によるものであっても。自分を危険にさらすようなことはしてはならない。自分を自分で守れる人になりなさい。」
それを娘にきちんと伝えたいです。
ファッションを楽しみ自己表現しながら、周りの人々とお互いに配慮し合いながら共生できる成熟した社会であって欲しいと思います。そのためにも、被害者、加害者、どちらのカウンセリングを担当することになっても、それぞれが己の未熟さを自省し、この経験を成長に繋げていけるようサポートできるカウンセラーが大勢活躍してくれることを願っています。