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2023/10/06

人も万物の一部であり、一翼を担う大切な存在であることを思う

 朝晩の冷え込みを感じるようになり、長く過酷であった今年の夏も終わりを告げようとしています。朝起きる度に温かく柔らかな毛布と離れがたく、幸せと苦しみがいつも背中合わせに存在することを感じます。

 

 我が家の長男は小学6年生。毎日バスと電車を乗り継ぎ片道1時間程かけて通学し、放課後にはお稽古事にも通っているため、帰宅は21時前になることも。寒い時期には特に、遅い時間の行動は心身共に負担が大きくなるように見受けられます。それもそのはず、彼は根っからの朝型で誰に起こされるわけでもなく、毎朝6時前にはパッチリと目が覚めてしまうのです。休日ともなると家中誰も起きていないのにかかわらず、1人でもそもそと起き出し朝食を食べ、ゲームや動画など、誰にも邪魔されない1人時間を楽しんでいるようです。聞けば、ゲーマーの中には朝型のプレイヤーも多いとのこと、意外と健康的で驚きです。
 

 私は元々血圧が低く、10代の頃は特に、毎朝体を起こすだけで一苦労でした。少し前までも、寝かしつけ後に片付けが残っている時などは、一度寝落ちしてしまうため、そこから起きてまた作業をするまでに2時間ほどかけて悶絶しながら起きていました。誰に強いられるでもなく、自然と目が覚め体が起きる息子をうらやましく感じながら、彼の自律神経が健康的に機能していることを嬉しく思うと同時に、幼い頃に頑張って21時就寝を死守した私、偉かったなぁと自分を褒めてあげられるところが子育ての素敵なところだなぁと思います。子供は親の鏡です。自分のそれまでの子育てが正しかったかどうかは子供を見れば分かるのですから、毎日子供を見つめる時間は自分自身を見つめる時間でもあるということです。
 

 健康的な生活を送る我が子を眺めながらいつも思うのです。なぜ人間はこんなに不自然な生活をしているのだろうか、と。人類が電気という存在を認識してからおよそ2500年余り、飛躍的な進歩により、今では昼夜関係なく1日24時間を好きなように使える時代になりました。ですが、どんなに夜の時間帯を明るく照らそうと、同じ労働時間を昼夜逆転させると、夜型の方が体の負担は極端に増大するし、日の出と共に起きて夜は早めに就寝するという生活を継続していくと体の調子も良くなると私は感じます。それでもつい、1日の仕事が終わり、ようやくできた1人時間を楽しみたいという欲求が勝ってしまい、連日早寝の機会を逃し続ける弱い自分がいることも事実です。
 

 人間も動物であり、地球上に存在する生物のうちの1つなのに、なぜ人間だけ自然に反する生活を強行しようとするのでしょうか。一般的な社会活動時間は10~17時前後です。日の出はもっと早いはずなのに社会が動き出すまでに数時間かかります。逆に終わり時間はほぼほぼ日の入りと同じような時間帯です。そう考えるとこのちょっと後ろに寄せている感が気持ち悪いと、私は感じてしまいます。朝起きて支度をするのにも、夜帰宅して就寝するまでにも、それぞれそれなりに時間がかかるのに、それでも社会生活に合わせなければならないから、夜間に起きている時間を延ばさざるを得ないのではないか……と、早く寝ればいいものを、ついつい夜中に眠たくなるまで考えこんでしまうのです。
 

 21時前には目をこすり出し、布団に入るとすーっと寝付く可愛い娘の寝顔を見ながら、布団の上でバタバタと最後のエネルギーを使い切って電池が切れるようにコトッと眠りに落ちる息子を眺めながら、また考え始めるのです。動物であるにもかかわらず自然に反する暮らし方をする人間、とはいえ自然界に存在する全てのものに意義があり、不要なものは自ずと淘汰されていきます。人類が誕生しておよそ20万年、この世に必要な存在であるから在り続けてきたのだとすると、ではその必要性とは何かについて考えてしまい今日もまた眠れなくなっていく。“考える葦”であることを実感する日々なのでした。

人も万物の一部であり、一翼を担う大切な存在であることを思う2
人も万物の一部であり、一翼を担う大切な存在であることを思う2
人も万物の一部であり、一翼を担う大切な存在であることを思う3
人も万物の一部であり、一翼を担う大切な存在であることを思う4

2023/09/29

呑むべきか吞まざるべきか、それが問題……か?

 異例の残暑が続いていますが、トンボや明け方のひんやりとした空気など、少しずつ秋の気配を感じつつあり、気付けば来週から10月になろうとしています。
 

 10日程前、珍しく体調を崩し、季節の変わり目で血圧が低くなっているのかなぁと軽く考えていたものの、安静時でも全力疾走後のような動悸と疲労感が治まらず、いつもお世話になっている医鍼堂の清水さんの元へ駆け込むと、「あぁ~肝臓ですね。ストレスです。とりあえず禁酒。」とのことでした。信頼する清水さんが仰るのですから、抗うことなく素直に従います。とはいえ、1年365日、高熱でも出ない限りほぼ毎日アルコールを摂取する生活をもうかれこれ何年も続けていた私にとって、アルコールの無い生活はもはや未知の世界です。日常業務の中で母親業を最優先にしているため、夕方までに仕事を終えて、呑みながら料理をし、子供達とお喋りをしながら夕食を取る時間を1日のクライマックスとして楽しんでいた私は、ルーティンの変化に戸惑い、いつもあるはずのものが無い空虚な寂しさも感じ、食への意欲も下がってしまっていました。親友のfoodtherapist山口 阿弥に禁酒ショックを愚痴ると「肝臓は怒りの臓器だからね、ストレスの対処と発散も大事だよ。」と心配し励ましてくれました。ストレスの原因は思い当たるところがあります。私は相当怒っているということなのか……自分でも気付いていなかった気持ちの大きさを知り、自分のことを大事にしてあげなければ、と彼女の作ってくれた十全大補湯スープと共に禁酒生活をスタートしました。
 

 アルコールの無い生活はきっと味気ないものに感じるのだろうなぁと諦め半分で開始したものの、いざ始めてみると意外とそこまで辛さを感じないことに驚きました。というよりもむしろ、睡眠の質が高まり快適ささえ感じます。体調もすぐに戻り、このまま無限にイケそうな気もするのですが、これから先一生アルコールの無い生活というのも想像できず、1週間後、丁度嬉しいこともあり祝杯を上げようとアルコールを解禁したのでした。
 
 しかし、なんだか後ろめたさを感じます。禁酒前のように全開で楽しめているかというとそうでもなく、呑みたいような呑みたくないような、けれども一度解禁してしまうと惰性でつい吞んでしまいます。今日は呑む?呑まない?と0か1かで捉われてしまい、面倒になったため、これについて考えること自体を放棄することにしました。『とりあえず呑む、清水さんストップが入ったらすぐに止める』と方針を決めると、気持ちも落ち着き、罪悪感なく吞めるようになりました。
 

 誰もが毎日様々な役割を兼任しながら、パズルのようにタスクを組み合わせ時間を構造化して1日を過ごしていきます。やるべきことが多すぎて手に負えないと思った時に、優先順位の低いものは潔く手放す勇気を持つことの重要性と、自分で判断が付かないものを安心して託せる信頼できる相手と良好な人間関係が築けていることの有難さを改めて感じました。
 

 あれもこれも完璧にやらなければと強烈なドライバーに支配され苦しむクライエントさんからのご相談を受けた時、カウンセラーの皆さんはどのように対応しますか。頭ごなしに正論を押し付けるのではなく、クライエントさんが自分自身の価値観に従い自発的に選択をしていけるようなサポートができているかどうか自信が持てないという方は、ぜひご相談ください。

呑むべきか吞まざるべきか、それが問題……か?2
呑むべきか吞まざるべきか、それが問題……か?2
呑むべきか吞まざるべきか、それが問題……か?3
呑むべきか吞まざるべきか、それが問題……か?4

2023/09/22

今こそ、悪の凡庸さについて話がしたい

 故ジャニー喜多川氏の連続性加害犯罪を震源とした問題が、ここにきて芸能界のみならずあらゆる分野の業界に様々な影響を及ぼしています。

 ここまで重大な問題なのにもかかわらず、なぜ今まで事務所関係者及び芸能関係者は“見て見ぬふり”を貫き通せたのか、番組やCM制作を依頼する側の代理店やクライアントは“あくまでも噂だから”とスルーできたのか、そして保護者達はなぜ、可愛い我が子をわざわざ黒い噂の付きまとう事務所に入れたのか、もっと言うと、日本中のファンたちが噂を耳にしながらも“推しに罪はない”という免罪符の元、推し活で事務所にお金を落とし続けてきたのでしょうか。
 

 そう考えると、芸能界ってそもそもそういうところ、と勝手に諦めをつけ、色眼鏡を掛けながらも一視聴者として娯楽を享受し続けていた私にも、その一端はあるのかもしれません。
 

 喜多川氏は、約20年前の裁判で性加害を認めています。にもかかわらず以降も変わらず犯行を続けられたのは、周りの人間が目をつぶり耳を塞ぎ口を閉ざしてきたから。そしてそれを隠ぺいすることでメリットを受けていた人々もまた同様に……と喜多川氏を中心に同心円状に広がっていき、中心から遠くにいる人ほど感覚が鈍くなり現実感がなくなっていく、ということが起きていたためと考えます。
 

 残念ながらペドフィリア(小児性愛嗜好)の方は一定数存在します。そしてその嗜好は無くなるものではありません。『子供の心身の発達に大きく影響を及ぼす為、厳しく罰すべきである』と法律で強く抑えつけたとしても、そう簡単に自制できるものではありません。理性を保ち続け、周りの人達の協力を得ながら、気を紛らわせつつ生きていくしかないのです。富と権力を持つ方であればなおのこと、欲求を満たすためにあらゆる手段を講じようとするでしょう。だからこそ、この問題が故人1人の責任であったとは言えないと思うのです。
 

 1933~45年にかけてヨーロッパのユダヤ人約600万人が虐殺されたホロコーストは、ナチスドイツ政権と同盟国、そして多くの協力者により行われたものです。ナチスの最高権力者であったヒトラーが象徴的に語られることが多いですが、彼1人が全てを実行したわけではなく、彼の思想のもとに賛同した者、取り入るべく自らの思想を翻した者、ただただ指令に従い実行した者、犯罪を認識しながらも世論に合わせた者、とヒトラーを中心に同心円状に広がっていき、多くの者が自ら考えることをせず周りに同調した結果の惨劇だったのです。
 

 敬愛するハンナ・アーレントは、そこに『悪の凡庸さ』があったと指摘しています。それがどんなに恐ろしい犯罪であるにもかかわらず、それに少しでも加担した人々はごく凡庸でしかない、この矛盾を理解しなければなりません。1人ひとりには悪い事をしたという自覚がありません。彼らはただ、自分が所属する組織や団体、グループなどの方針に付き従い『歯車』となっているだけなのです。考える事も、想像する事すらせず、民意に自分を合わせて生きる人々の悪の凡庸さこそが、ホロコーストやジャニーズ性加害問題を生み出しているということに気付かねばならないのです。
 

 自分の頭で考え、心で感じて、自ら正しいと思う道を選び取り築いていくからこそ自分の人生と言えるのではないでしょうか。自分の中にある悪の凡庸さに向き合い対峙できる強さを持つ人でありたい、と、いつも思います。

今こそ、悪の凡庸さについて話がしたい2
今こそ、悪の凡庸さについて話がしたい2
今こそ、悪の凡庸さについて話がしたい3
今こそ、悪の凡庸さについて話がしたい4

2023/09/13

苦しみや悲しい経験を昇華させる

 9月半ばと言えども異常な暑さが続き、なかなか秋の兆しを感じられずにおりますが、スポーツ界は、野球、サッカー、ラグビーなど、自粛明けを実感させる盛り上がりを見せており、運動が苦手な私でも、そこにスポーツの秋を感じられたことを嬉しく思っています。
 

 先日のラグビーW杯 日本-チリ戦でも日本代表チームが見事に勝利し、ラグビー経験者の夫も、大興奮で画面にクギ付けでした。私はルールをよく理解していないのですが、見ているだけでも楽しめるので、世界中が熱狂するのも納得の素晴らしい試合でした。ですが、個人的にはスポーツ観戦が少し苦手です。厳密に言うと観戦自体は楽しいのですが、それにより興奮している人とはなるべく距離を取るようにしています。それは幼少期の体験により身に付けた私なりの防衛策です。スポーツ中継などで応援している選手やチームが勝利すると喜びのあまり自分も何だか強く、偉くなったような、高揚感に包まれます。それにより普段は抑圧している部分が少しだけ解放され、なかなか言えないことが言えてしまったりします。普段の理性が働いている時に抑えているくらいですから、それは大概“余計なこと”であることが多いのですが、今なら言えるかも!と無意識にハードルが下がってしまいます。その結果、無自覚に相手を傷つけてしまっているかもしれないことに、皆さんはお気付きでしょうか。理性が鈍っているため、相手への配慮が足りないまま言いたいことだけをぶつける、という事故が起きるのです。ビールを飲みながらスポーツ中継を観戦している父親の無神経な発言に何度も涙し、抗おうにも相手は酔っているのでまともに話にならないどころか、自分の発言すら記憶に残っていないという醜態を目の当たりにする度に信頼がなくなっていく、そういった苦い経験から導き出した私なりのルールが『観戦後は速やかに距離を取る』だったのです。
 

 先日の日本-チリ戦も、終盤になり日本の勝利が見えてきた時点で「そろそろだな」と別室に避難することにしました。ですが、息子は「試合を最後まで見たい」とリビングに残ることに。試合終了後まもなく、息子が私のいる部屋へとやってきました。息子は夫の何気ない一言にひどく傷ついていました。それは息子に対し1人の人間としての尊重がなく、親としての自覚に欠ける発言でした。反抗期に入り、なかなか思うように息子とコミュニケーションが取れない夫としては、やっと言えた本音だったのかもしれませんが、明らかに言うべきではなかったと私は思います。一体今まで息子の何を見てきたのか、愕然とし、怒りに震えました。案の定、習い事をやめたい、学校に行きたくない、あれもこれも嫌、何もしたくないから全部やって……と息子はあらゆる物事への意欲が低下した状態になってしまいました。
 

 子供の反抗的でわがままな態度は、何かのサインである場合が多々あります。言動を額面通りに受け取り、大人の力で無理やり抑えつけようとすると、子供としては伝わっていないのだと感じ、表現が激しさを増していきます。翌日、習い事を休んだ息子に夫が「どうしたの?」と訊くと、息子は「ちょっと色々あって行けなかった」と、これに対して夫は「ふ~ん」とだけ回答しやり取りが終わってしまいました。これが息子の精一杯でした。夫も、息子に嫌われたくないあまり、深く関わること自体から逃げているのですが、スポーツ観戦後の興奮に乗じて余計なことを口走る位なら、普段からもっと交流を取っておくべきです。
 

 このような場合、私はかなり明確に感情を表現します。息子の自尊心をケアしたいのと、夫に危機的な状況であることを知って欲しいからです。夫の息子に対する逃げ腰な態度を見て怒りが再燃し燃え盛る私の元へ、息子がそっとやってきてハグをしてくれました。なんて紳士的。どっちが大人だよ。今朝も、行き渋り遅刻しながらもちゃんと学校に向かった息子の精神的な成長を目の当たりにして、感動を独り占めしたところでした。
 

 問題に直面した際の危機管理対応というのは、成長段階で様々な経験をし人と関わる中で自然と身に付いていきます。ハロウィンの時期が近づいてきています。渋谷区は、『ハロウィン目的で渋谷に来ないように』という異例の発表を行いました。韓国 梨泰院でのような不幸な事故が再び起こることがないよう、またそのような危険に巻き込まれ犠牲になることがないよう、1人ひとりが危機管理意識を持たなければなりません。今回の件は息子にとって辛い経験ではあったものの、危険が予測される場にわざわざ身を置かない、自分のことは自分で守ることの大切さを知ってもらえたらと思います。

苦しみや悲しい経験を昇華させる2
苦しみや悲しい経験を昇華させる2
苦しみや悲しい経験を昇華させる3
苦しみや悲しい経験を昇華させる4

2023/09/08

『FIRE』で本当に幸せになれるのか

 『FIRE』という言葉をご存知でしょうか。

 Financial Independence, Retire Earlyの頭文字を取った、経済的自立と早期リタイアの実現を意味します。あくせく働かずに楽して生きていきたい、と一度は夢見たことがある方も多いのではないでしょうか。働いて会社からお給料をもらうのではなく不労所得分だけで余裕のある生活を送りながら、毎日好きな事をやって生きていく、一見理想の生き方のように思えますが、それが現実となった時、人はどのような気持ちになるのか、想像してみてください。

 

 年齢に関わらず、働かずに好きな事をしながら生活をしているという方からご相談をいただくことがあります。何を悩む事があるのかと思われるかもしれませんが、どのような方にも悩みは必ず訪れます。人は悩みの解決に取り組むことで前進し、それを繰り返しながら成長していくことが生きるということです。ですから「頑張ってあそこまで行ったら悩みや苦しみから解放される」という妄想は、実は誤解です。目の前の問題を乗り越えれば今ある苦しみは終わるかもしれませんが、頑張ってステップアップしたら、新たなステージで次の課題がやってくるため、悩みが尽きることはありません。つまり、悩みとは目の前にぶら下げられた人参のようなものなのです。どんなに嫌がっても人参がなくなることはありませんから、どうせなら、「美味しそう、食べたい!」と思いながら追いかけた方が幸せですよね。

   何にも縛られることなく自由に生きる方々がどのような事にお悩みかというと、生きる意味についてです。仕事の悩みもない、人間関係のしがらみもない、やらなければならない事もない。何でも好きな事ができるけれども、好きな事だけをやり続けるのは実はそんなに楽しくはないということが分かり、趣味にも飽きて、結局毎日何をしたらいいのか分からずただただ時間が過ぎるのを待つのが苦しい、生きる目的を見失った……生きる意味って何なんでしょう、となるわけです。生きる意味とは、正解を導き出すことではなく、追い求めること自体が“意味”なのではないでしょうか。

  

 何もしなくていい、という状況が延々と続くことほど辛いものはありません。80余年という長く限られた時間をいかに有意義に過ごすか、その為に仕事や家庭生活など、人と関わりながら誰もが時間を構造化しながら過ごしています。人には知能があり、考えずにはいられない生き物ですから、やるべきことや考えるべきことがなくなると『なぜ生きるのか』『死とは』という究極の命題と向き合わざるを得なくなります。それだけを追求しながら楽しそうに生きておられる方を見たことがありますか?私は見たことがありません。なぜなら、それは不可能だからです。命題から目を逸らし心穏やかに生きるために、人は毎日働き、人と会話をし、あらゆる雑多なことを考えるのです。 

 経済的に余裕のあるインフルエンサーの皆さんが暇を持て余しているように見えるでしょうか。皆さんそれぞれに社会的役割や存在意義を理解し、ご自身にできる最大限のことに常に取り組んでおられるように見えます。社会貢献する意欲や覚悟がないまま『FIREすれば人生勝ち組』と考えているのであれば詰み確ですので、FIREは、あくまでもその先に行くための通過点として目標設定されることをオススメします。 

 カウンセラーの皆さん、生き急ぐクライエントさんが相談に来られた際、クライエントさんの勢いに合わせて同調することが共感だと思っているとしたら、それは間違いです。未来を見据えたより良い生き方ができるようアダルトを働かせながら寄り添い見守れるカウンセラーでありたいですよね。

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『FIRE』で本当に幸せになれるのか3
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