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2023/11/16

正義を笠に着ても、悪は悪

 『私人逮捕系YouTuber』逮捕の報道をめぐり、様々な議論が巻き起こっています。事件の詳細については、お知りになりたい方は各自ご覧いただければと思いますが、容疑者逮捕の報道や、それでもなお過激な動画を上げ続ける同系YouTuberに対しても、ここぞとばかりに誹謗中傷が相次いでいるのが目につきます。ここなら叩いてもいい、叩いて然るべき、叩かずしてどうする、という免罪符を与えられたかのように。

 

 正義の名のもとに大義名分を振りかざし自分の正当性や優位性を主張する行為としては、犯罪者を私人逮捕することも、ネット上で匿名で誹謗中傷することも、私には同じに見えるのですが、皆さんはどう思われますか。

 

 私たちは日々あらゆる感情を感じながら生きています。楽しさや喜びに満ちた幸せな気分に包まれる日もあれば、痛みや苦しみ、悲しみ、悔しさなど、身を引き裂かれるような出来事に打ちのめされる日もあります。辛く苦しい日々があるから希望の光に尊さを感じられる、この波があるから1日1日を送っていくことができるのです。しかし時として人は、いずれ必ず希望が訪れる、という真理を忘れてしまいます。自己肯定感が低下し希望が見出せなくなると、その苦しみに耐えられない場合には、自分自身を守る為に無意識に防衛反応が作動します。相手を軽蔑し、支配・征服することで相手よりも優位に立てていると錯覚し、ダメな自分を直視する心の痛みから目を背けられるからです。

 

 SNSの過激な動画や攻撃的な誹謗中傷などは言うまでもありませんが、このような目立つ行為だけがそうなのではありません。スクールカーストも、地域の村八分も、他者の容姿にケチをつけたがる女性、子供を力だけで支配する父親や教師、自分の苛立ちを弟妹にぶつける兄姉……見渡せばそこら中で同じようなことが行われています。程度の差こそあれど、どれも自分の問題から目を逸らす為に他者を利用していることに変わりはありません。 

正義の為なら人を殺してもいいのですか?
もちろんダメです。 

富める者から盗み貧しきものへ与えるロビンフッドは正義ですか? 
ただの泥棒です。 

 皆がやっているから、あいつは悪い奴だから……○○だからOK、なのではありません。 
自分の信念に従い考え、自分の責任において行動するのです。 
その責任から逃げ、ダメな自分を慰めるために匿名の凶器を投げつける場がSNSなのではありません。匿名が許されるSNSが悪いのではなく、トリセツを無視して乱用する1人ひとりの未熟さという問題点を認めることで、各個人から社会全体の成長へと繋がっていきます。

 

 1つひとつの言動にその人の『人となり』が現れます。限られた貴重な時間を、ダメな自分から逃げるために“消費”するのではなく、自己の成長の為に使うことこそ“生産”的で健全な在り方ですよね。 
人の振り見て我が振り直せ。 
1人よがりになり手痛い失敗をして落ち込む前に、あらゆる報道を目にする度に自己の言動を顧みることができるのは有難いことです。
常に、他者の失敗を許容する寛容さを持つ人でありたいと思います。

正義を笠に着ても、悪は悪2
正義を笠に着ても、悪は悪2
正義を笠に着ても、悪は悪3
正義を笠に着ても、悪は悪4

2023/11/08

ママ的思考を学ぶ

 ここ最近ずっと考えていたのは、『ママ的思考』についてです。
私も2人の子供達の母親なので分かりそうなものなのですが、これが非常に難しいのです。私は比較的Adult(大人の自我)が高いので、合理的に物事を考えがちです。問題があれば解決してグイグイと前に進めていきたくなってしまいます。しかし、周りのママ達のお話を聴かせていただいていると、そういうテンションには付いて行けないと感じておられる方が大半なのかもしれない、と、思えるようになってきました。

 私の住む地域の子供会は、昨今の情勢にならい崩壊の危機に瀕しています。働くママ達の中には、子供会の集まりや準備などを負担だと感じる方も増えてきたためのようです。確かに、子供達に楽しく安全に過ごしてもらうためには、日頃からの地域との連携が不可欠であり、細々とした作業で休日も休めないことも多々あります。私も身をもって実感しているため、つい問題を解決し、1人でも多くのお子さんに参加していただける会に育てたいと思ってしまいます。存在意義を再認識し、無駄を省いて負担を軽くすることで、長く楽にやっていける仕組みを作るには……とつい頭で考え始めてしまうのです。負担軽減策としてパパ達にも参加してもらいやすい空気を作らねば、と提案するものの、動けば動く程、皆さんとの心理的距離が乖離していくのを感じます。

 ついいつものクセでグイグイとやってしまった、と反省し、共感に努めます。ママ達の気持ちを理解し学びたいという気持ちで話を伺っていると、
・会の存在意義などという大げさな精神論こそ心理的な負担になる
・夫の介入は望んでいない
・緩く楽しくの方がみんな参加しやすいと考えている
というのが分かってきました。
私の中には無かった新しい価値観です。頭を働かせたいという欲求を、会の建て直しではなく、ママ達の価値観を学ぶ方向にシフトしました。 

 人の人生は、常に悩みと共にあります。目の前の悩みを解決するために行動することで前に進んでいくことができます。年齢や性別、社会的地位などに関わらず全ての人に、それぞれに応じた悩みが訪れます。
 
 私も心理学を学ぶ以前には、悩みのない幸せな人生を夢見ていましたが、そのような世界は存在し得ません。悩むことがなければ、人は退屈過ぎて苦しくなってしまうからです。感情と思考を持つ人にとって、悩みとは喜びであると同時に苦しみであり、生きる糧なのです。だから時として、悩みを解決せずに抱え続けることが支えになることもあります。 

 1年365日、休みことなく毎日家族の日常を支え続けなければならないママ達にとっては、安定した暮らしを守ることが最優先であり、そこに全力を注いでいるため、家庭外の問題の解決に取り組むという追加の負担は求めておらず、子供会の改革など『余計なこと』なのかもしれない、と思い至りました。「ホント大変だよね~」と愚痴りながら解決させずに繋がり続けることが適温なのでしょうね。
 

 男女格差の改善を訴える一部の方々がいらっしゃる中で、実際には子育てをパパさんと協力しながら半々でやっているという方は私の知る限り皆無です。私もその中の1人で、夫に子供達のことを頼みたいとも思っていません。理由は、子育てにおいて夫を信頼できていないということと、子供達からの信頼と可愛さを1人占めしたいからです。母性の恐ろしさを感じますよね。ユングの元型論にあるグレートマザーは、優しさや温もりといった陽のイメージと、支配や呑みこみといった陰のイメージを併せ持っており、自分の中にある母性があらゆる場面で無意識に影響を及ぼしていることを実感できました。
 

 ママさん達との価値観の違いから孤独や不安を感じドライバーに駆り立てられたことで悩みとして出現、それを解決するために苦しみ考え抜いたことで、また一つ成長することができました。学びがじわじわと深まる快感を堪能しながら、悩みをもたらしてくださったママさん達の存在に感謝するばかりです。

ママ的思考を学ぶ2
ママ的思考を学ぶ2
ママ的思考を学ぶ3
ママ的思考を学ぶ4

2023/10/27

それは本当に子供のための決断になっていますか?

 近年、PTAや保護者会、子供会の廃止というニュースを時々耳にします。長引く経済状況の低迷により、共働き世帯は益々増加しているにもかかわらず、保育施設や学校、習い事など、子供に関する用事は、相変わらず圧倒的に母親の負担が多いのが現状です。

 

 職場のメンタルヘルス的に考えると、仕事で十分にポテンシャルを発揮するためには、適度な休息が不可欠です。毎日一生懸命働くお父さんは、休日くらい家でゴロゴロさせてくれよ、というのが本音ですよね。しかし、それは働くお母さんも同じです。
 

 にもかかわらず、その大切な休日には子供たちのイベントの準備に駆り出され、限られた仕事の時間も学校関連の用事により削られるため休日に補填せざるを得ない、休日で家にいれば子供達から声を掛けられ仕事どころではない、曜日に関わらず家事や炊事は変わらずある……休んでる暇なんてない!!となれば、追い詰められていくのも当然です。

 

 誰もが余裕のない中で生活していますので、もちろん各ご家庭の経済状況を守ることが最優先となり、仕事は辞められない、仕事を続ける為には他の用事を削るしかない、でも参観日や面談など学校関連は削れないから、任意の保護者会や子供会が断捨離の対象となる、という安易な考えに流れていくのも致し方ない事なのかなぁと理解できる部分もあります。このような一方的な考えで物事を強引に推し進め、「これがイヤだから、失くせばいい」という破滅的な思考に陥ってしまうほど視野が狭くなってしまうのは、『余裕がないせい』と言えばそれまでですが、その一言で片付けてしまえるほど小さな問題ではありません。

 

 そもそも人は、生まれた瞬間から、その国の所属となることを理解されているでしょうか。だから国民1人ひとりが国の宝であり、子供達は、その地域に住む大人たち全員で育てていかなければならない大切な存在なのです。元気に働ける人は沢山税金を納め、病気や怪我などの諸事情で働けない場合には国が生活を保護し、お互いに持ちつ持たれつ支え合いながら国が運営されていきます。

 

 子供達が健やかに成長していく為には、元気に遊び、より多くの人と交流を持ちながら沢山の刺激を受けて自分で考える力を養っていく必要があります。しかし、昨今の日本の現状はどうでしょう?家族の信頼関係自体が希薄になり、核家族化の増加、身近に頼れる人がいない中で育児環境も孤立化、スマホの普及で情報だけは誰でも簡単に取得でき不安だけが膨らんでいく為、その不安感を払拭するために子供を囲いの中で育てがちになる、閉塞的な環境の中で育てられた子供達の心身がどのような成長を辿っていくか……真剣に考えたことがある方がどれだけいらっしゃるでしょうか。
PTAや子供会がなくなれば物理的には多少の余裕ができるかもしれません。
ですが、その選択が本当に子供のために最善であるかを一瞬でも考えましたか。

 

 治安の良い安全な地域で安心して子育てをしたい、親なら誰もが望むことです。しかし、その地域の安全は、誰かが用意してくれるものではありません。そこに住む人々全員が協力し合い1日1日と築き上げていくものであり、それには何十年という長い歳月を要します。そういう安定した土壌の中で、子供達の名前と顔を覚えていただき、地域全体で守り育てていくためには、世代間交流が不可欠であり、その一翼を担うのがPTAや子供会の役割です。そう考えると、雑多な手間も必要なことであり、「イヤだから、失くせばいい」という発想がいかに軽率で愚かな考えであるかが分かります。
 

 必要なものを存続させるために、個々の負担を軽減させながら時代に合わせた方法を模索していくという建設的な議論ができる成熟した親へと成長できるよう、保護者同士が協力しあうためにも、やはり繋がることが不可欠なのです。
 
 

 とはいえ、それは子を持つ両親どちらにとっても重要な事であり、共働きにもかかわらず母親だけが負担を負い続けるのは非常にアンバランスなため、負荷を強いられ続けた母親は夫に対する信頼がなくなり、母の苦しむ様子に子供達は何を思うか、そのうち収入のある母親は婚姻関係に意味を見出さなくなり……と別の問題へと発展していくことを想像すると、しみじみと信頼と協力の重要性を思うのでした。

それは本当に子供のための決断になっていますか?2
それは本当に子供のための決断になっていますか?2
それは本当に子供のための決断になっていますか?3
それは本当に子供のための決断になっていますか?4

2023/10/21

神様はなんで人間を創ったの?

 我が家には小学生の男の子と女の子がおり、彼らからの質問にはいついかなる時でも真剣に答えるようにしています。これまでにも、ジャンルや難易度を問わずあらゆる難問と格闘してきました。そして先日も、娘と一緒に性教育の本を読んでいたところ、 

「神様はなんで人間を創ったの?」 

という子供ならではの素朴な疑問が投げかけられました。 
セックスや妊娠の仕組み、命の尊さなどについて書かれている本は沢山あり、我が家の蔵書の中にも『神様はこうして人間を作りました』というファンタジックな本があるのですが、それを読んだことで新たな疑問が生まれたわけです。
子供の視点の鋭さとピュアであるが故の大胆さにドキリとしますよね。

 

 地球上での人間の存在意義とは、という真理を求められたわけですから、ここは母として、カウンセラーとしての腕の見せ所です。
 
 私が日頃から思うのは、人間って本当に厄介な生き物だよなぁ、ということです。考える葦であるが故に、摂理に反する時間軸で暮らし、自然には存在し得ない美しい造形物を産み出し、自然を破壊したかと思うと必死で保護に努める。地球上に存在する生物の中で、こんなにもハチャメチャな種は恐らく人類だけです。他の生物たちは皆、お日様と共に生き、生息が可能な土地だけで種を存続させ、抗うことなく自らを順応させながら粛々と生物としての役割を全うし生涯を終えていきます。人間という存在が無ければ、彼らはあるがままの自然の中で何者にも邪魔されることなく、よりのびのびと生きられるのではとも思いますが、人類が誕生してから早20万年、それだけの長い年月の中でも滅びることなく共生してこられたということは、やはり地球上に人間が存在することに意味があるからだとも思うのです。それを壮大な食物連鎖の一部と言ってしまえばそれまでですが、だとしたらなぜ人間は他の生物と同じようにお日様と共に生きようとはしないのでしょうか。考えることもなく、ただ起きて食べて寝て種を存続させていく、それだけに徹すればいいものを、それだけでは生きていけないのが人間であり、その意味を掴むことが生きる意義を深めてくれるのではないかと思うのです。

 

 穏やかな毎日を粛々と生きる多くの生物達の中にいる、たった1種類だけのハチャメチャな存在。滅茶苦茶に引っ掻き回しながら、同時に必死に均衡を保とうとする動きを想像しながら、ふとお風呂を思い出しました。熱いお湯と冷たい水の二層になっている湯船を掻き回すことで丁度良い湯加減になります。お風呂上がりのコーヒー牛乳を作る時には、茶色いコーヒーに白いミルクを入れてまぜまぜすると美味しく出来上がります。搾りたての果汁やカラフルなリキュールをミックスしたカクテルを仕上げるマドラーのように、地球上の淡々とした営みを掻き回し、全ての細胞を活性させる役割が人間には与えられているのかもしれない。そう考えると、冒険や挑戦を避け、安定を望むだけの人生は、人間としての役割を放棄していることにはならないか、という思いに至りました。この大きな地球の長い歴史の中では個人の失敗なんて無いも同然。止まることなく動き続けることが責務、私もその一部として恐れることなく挑戦し続けなければ。

 

 娘の大きな美しい瞳を見つめながら、深い学びの機会をくれたことに感謝し、ぎゅっとハグをするのでした。

神様はなんで人間を創ったの?2
神様はなんで人間を創ったの?2
神様はなんで人間を創ったの?3
神様はなんで人間を創ったの?4

2023/10/14

心に語り掛けるアートセラピー

 自由な自己表現が実現するソーシャルメディア隆盛の時代、各々のセンスと倫理観に則ったあらゆるコンテンツが世に溢れています。短時間で凝縮した学びが得られるものから、何を目的として作られたものなのか不明なものまで、どれを視聴するかの選択も見る側のセンスと倫理観と責任で、というある意味無責任な無法地帯でもあるため、幼いお子さんをお持ちの保護者の皆様の中にはお困りの方も多いのではないかとお察しします。私も1人の親として子供達の動画のチョイスには、ある程度本人達の自由な意思を尊重しつつ、目を配りつつという気の抜けない日々です。

 
 
 そんな中で、最近の娘のチョイスには何らかの傾向があるように見受けられたため、慎重に観察してみることに。すると、女性性を強調した内容のものや、見た目に囚われないと主張しながらも外見の性差に固執した内容のものなどを頻繁に視聴していることが分かりました。

 近年はジェンダーレスな考え方が進み、男らしさや女らしさといった偏った概念を押し付けないようにという意識が浸透しつつありますが、生物学的には異なる生殖機能を持つ性差が存在しており、自我を確立していく中で性自認の獲得は重要な意味を持つ大事な過程でもあります。

 

 最も身近な存在である両親や周りの大人達から、優しく包み込むような母親像と賢く力強い父親像の両方を学び、自分の中に取り入れていくことで、それぞれに補い支え合い強くなっていけるのです。だから、子供が育っていくためには父親と母親という両輪が必要なのです。ただ、各ご家庭の事情も様々にあり、それが叶わない場合も多々あります。我が家の場合では私が母性だけでなく父性も強すぎるため、娘は混乱しているのかもしれないと考えました。小2の娘にはこれをどう説明したらよいのやら……と考え、頭ではなく体を通し心で感じることで娘なりに答えを掴んでもらおうとアートセラピーをすることに。

赤、白、青の絵の具と真っ白な画用紙を用意して、まずは娘をイメージした大好きなピンクから描き始めます。 

「お母さんの思う(娘)ちゃんのイメージはこんな感じなんだけど、でもこれだけじゃなくて、もっとこんなのとかあんな部分もあるよね〜♪」 
「あーそうそう、分かる分かるーヾ(*>∀<)ノ゙」

と、娘と同じテンションで楽しみながら筆を進めていきます。限られた素材の中でも色、形、濃淡を変えながら、家族4人それぞれが全く異なる表現となり、そして皆の中に赤と青の両方の要素が存在するなかなか素敵なクリエイティブが完成しました。娘も納得の出来映えです。

 

 全ての人の中に存在する2つの性を尊重し、1人ひとりが掛け替えのない存在であることを知るきっかけとして娘の中に刻まれていくといいなぁと願いながら額に収めます。多くを語らずとも心に語り掛けてくれるアートの力に、あらためて感動しました。我が家の誇るアートコレクションが、また1つ増えました。

心に語り掛けるアートセラピー2
心に語り掛けるアートセラピー2
心に語り掛けるアートセラピー3
心に語り掛けるアートセラピー4
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