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2024/01/17

生きるための影

 吉本興業所属 松本人志氏の性行為強要疑惑が大きな波紋を広げています。元日の大地震や2日の羽田空港衝突事故など、生死に関わる大きな問題が立て続けに起きていながらも、人々の関心を集めたのが芸能人のゴシップであることに、ややもの悲しさを覚えつつ、やはり日本人は平和な社会で守られながら生きていることを実感しますよね。
 

 週刊誌の第一報の段階では、吉本興業側が事実無根として徹底的に争う姿勢を示していましたが、瞬く間に松本氏の活動休止が決まり、関係のあるタレントや番組にも次々と影響が広がっていきました。これに関する記事を幾つも読ませていただきましたが、実は私は未だに分かっていません、週刊誌側は一体何を悪として糾弾しているのか。 
 法に触れるようなことが行われ心身に損害を被ったという方がいらっしゃるのだとしたら謝罪と補償が発生してくるのでしょうが、芸人が集める芸人の飲み会なのだから品の無い場であることと他言無用は大前提です。成人した大人が自分の判断でそこに行くということは、そこで行われることの責任の半分は自分にあるということです。好きでもない相手とセックスをしたくないのであれば、自分の責任において行かないという判断をし、分からずに行ったのだとしても、その場で判断して断らなければならないのです。それでも後日週刊誌にネタを売り小銭を稼ぐという行為、そして売上の為なら真偽は問わないという報道姿勢は、芸人遊びの遥か上をいく卑劣さであり、それに踊らされている消費者の民度の低さたるや……人を非難する自分の醜さは見えていないのですね。


 

 ダウンタウンの松本人志氏と言えば、稀代の天才芸人です。不条理や恥部をシニカルな視点で笑いに昇華できる類まれなる才能を持つコメディアンでありながら、MCやコメンテーターとして時折見せる隠し切れない人情深さが、より彼を人として魅力的に見せています。だから人は期待してしまうのでしょうね。「この人は良い人だ、良い人に違いない、良い人でなければならない。」と。そしてその理想と現実が異なると「騙された」と一方的に怒り狂い、それまで崇め奉っていた相手を一瞬にして攻撃対象として認定してしまうのです。 
 しかしよく考えてみれば、彼は“笑い”の追求に生涯を掛ける1人の芸人です。笑いとは日常の中にあります。高額な収入を得る大物タレントになったとしても、高尚な著名人になってしまっては日常の笑いの感覚は薄れてしまう、そんな危機感を常に背負いながら生きるのが芸人の性なのではないでしょうか。報じられたようなケチでしみったれたゲスい遊びを繰り返しているのだとしたら、それにより彼の陰湿さが育まれ、それをはねのけようとする反発心が生じるからこそ、どのような状況においても機転の利いた一言で場の空気を一変させるという瞬発力が磨かれるのではないかと考えると、ある意味、生きるために死を懸ける武士の修練と同じであるように私には見えるのです。  

 人は自分の中に、外の社会に向けている顔(ペルソナ)と、そこからあぶれてしまった見せたくない部分を影(シャドウ)として内に秘めて生きています。自分の嫌な部分は箱にしまって無かったことにしたいと思っておられる方も多いかと思いますが、消し去ることは出来ません。自分の中に隠したい、嫌いな面があるからペルソナが形成されるのであり、影がなくなれば外の社会で生きるための顔も存在できなくなる、ということです。何一つ隠さないありのままの自分をそのまま社会にさらけ出すなんて、恐ろしくてできませんよね。ですから、その隠したい劣等の部分を見つめ自己受容し、自分の中の光と影を統合していくことが人格的な成長であり、生涯をかけた人生の究極の目標であるとユングも説いています。
 松本氏にとって芸人として生きるためには影の存在が不可欠であり、あのゲスい遊びこそが彼を彼たらしめているのだとしたら、それがなくなってしまったらみんなの大好きな松ちゃんはいなくなってしまうということなのです。ゴシップで彼の素行を取り締まり、聖人君子を強要して稀代の芸人を凡人になり下がらせようとする社会の動きは、才能あふれる子供達に『お利口さん』を押し付けて社畜を産み出す教育ママと通じるものを感じますよね。 

 誰しもが持つ影の存在。自分自身の影を理解し受け入れることで、他者にも光と影があることを知り、相手の存在を受け入れられるようになります。他者に自分を受け入れてもらうには、まずは自分が他者を受け入れられるようにならなければ。それが理解できれば、例え芸能人や公人であろうと晒し者にする行為がいかに愚かであるか、そしてその刃は、誰にも理解されない孤独という苦しみとして、いずれ自分に返ってくることがお分かりいただけるかと思います。
 
 お互いを監視しネット上に晒し合う現代のSNS社会は、お手軽に繋がりを求める程により孤独が増していくという現実。健全な社会の在り方ではないですよね。

生きるための影2
生きるための影2
生きるための影3
生きるための影4

2023/12/30

結婚10年目の危機で試されるのは己の人間性

 黒木メイサさんや安達祐実さん、名だたる女優さんが次々と離婚を発表されていますね。クリスマスや年末年始に結婚・離婚の報道が増えるのは業界ならではの事情があるのでしょうが、報道を見ていると結婚から10年前後で離婚を考える方が多いように見受けられます。かくいう私も結婚13年目、もちろんその渦中にあります。
 

 10年も一緒にいて今更取り立てて問題が起きることがあるのだろうか、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、事が起きたから関係が変化するのではなく、10年一緒にいたから分からなくなるものもあるのだと思うのです。統計でも10年前後で性格の不一致により離婚するカップルが多いというデータも出ているくらいですから。 
 新婚時代というのは恋愛の延長なので、フィルターが掛かった状態で相手を見ています。それにより欠点さえもぼんやりと見えてしまっており、お互いに相手のことを分かっているようで分かっていないというのが実情なのではないでしょうか。恋愛感情の盛り上がりは3年程が限度ですので、まずはこの辺りで魔法が解け、現実を目の当たりにして打ちのめされる、という難所がやってきます。いわゆる3年目の~というトラップですね。それを乗り越え様々な経験を共にしていくことで信頼関係が築かれ、恋人の延長から家族という存在へと成長していきます。 
 『結婚=家族』というのは形だけにすぎません。本当の家族というのは長い時間をかけ全員で協力しながら作り上げていくものです。家族みんなのスクラムによるしなやかな力強さと温もりに溢れた帰りたくなる場所だからこそ価値があるのだと私は思っています。他人行儀な関係から、あたかも自分の一部であるような身内という感覚が浸みこんでいくわけですから、別々の物体がくっつき徐々に融合していくというようなことが2人の内面で起きており、それこそが真のパートナーとなるための進化の過程であると捉えられます。しかし物事には必ず相反する側面があり、進化の背後には、それに抗う力も存在するわけです。相手が自分の一部という感覚になるにつれ遠慮や配慮もなくなり、自分と相手が別々の人間であるという意識も薄れ、生活のツールという感覚で相手を見るようになっていきます。 
 毎日の暮らしに欠かせない家電や家具などの生活ツールは、おしゃれで機能的な最新の商品へとその都度アップグレードしながらより良い生活を追求していきますが、その感覚でパートナーを見てしまうと、進むべき道を見失ってしまうのではないかと考えます。
 10年も経てば人はそれなりに年を取ります。メッキもフィルターも剥がれ、ふとした瞬間に外見的にも内面的にも色々なものが露わになった状態を目の当たりにしてハッとするのです。だからようやくここで「この人とは性格が合わないかも」と考えるようになるわけです。年齢的にも自分自身のライフプランのタイミングなどにより、自己実現欲求を満たすにはしがらみを断捨離しなければという気持ちになるのもとてもよく分かります。しかしそれはとても一方的で独善的な見方です。ライフパートナーとの関係性の変遷という点からみると、10年目の惑いは数あるマイルストーンの1つに過ぎません。前述のとおり、融合の途中の段階なのですから、言わばパートナー史における曖昧と混沌の時代です。この難所を乗り越えるからこそ強固な信頼関係が確立されお互いに無くてはならない“真のパートナー”のステージへと到達できるのです。 
 
 10年一緒にいて離婚を選択するということは、相手がどうだからという問題ではありません。パートナーと共に乗り越えるべき問題であるにもかかわらず自分の欲求を優先し問題に向き合うことから逃げたということなのです。定期的に結婚と離婚を繰り返している方、時々お見掛けしますよね。問題というのは面白いもので、逃げても必ず時と人と場所を変えてまたやって来ます。そしてその時にはネギを背負ってやって来てくれるので、せっかくですから覚悟を決めて問題に向き合ってみると、今まで見たことのない新世界への扉が開かれることと思います。
 

 年の瀬の押し迫ったこの時期に、未来への希望を見出せず進むべき道を見失ってしまっているという方は、ぜひご相談ください。より良い未来を切り開いていけるよう力強くサポートします。 
 クライエントさんの援助でお困りのカウンセラーの皆さんも、お気軽にご連絡ください。難しい課題に直面し挫折したとしても、それで終わりではありません。失敗の経験が学びをより一層深めてくれますので、今のご自身に適した学びを掴み取っていけるようお手伝いします。

結婚10年目の危機で試されるのは己の人間性2
結婚10年目の危機で試されるのは己の人間性2
結婚10年目の危機で試されるのは己の人間性3
結婚10年目の危機で試されるのは己の人間性4

2023/12/18

ケチをつけるよりやるべきこと

 性交渉に同意したかの記録が残せるアプリ『キロク』の提供が始まりました。
賛否両論、物議を醸しそうなサービスだなと思いながら見ていると、やはりネガティブな意見が多く見受けられました。新しいものに対する抵抗感や懐疑的な視点は危機管理という意味において重要ですから、あって然るべきだと思います。

 

 私も記事を読みながら、いざという時にこれを冷静に読める人がどれほどいるのだろうか、直前ではOKしていたけれど相手を陥れるために事後にNOにした場合は誰がどう判断するのか、などなど考えたらきりがなく、実際に活用してもらえるようになるにはいくつものハードルがありそうではありますが、これまで無かったものをゼロから作り上げて下さったのですから、プロジェクトに携られた皆様には頭が下がります。社会にとって、無いよりは断然あった方が良いものなのですから、素直に感謝したいと思います。アプリがスタートして徐々に認知が広がり、性交渉の同意についての人々の意識が高まることが大切ですよね。
 

 このアプリに関する意見の中には、アプリに頼らずに信頼関係を築くべき、サービスを使わざるを得ない相手と性交渉を持つのが間違い、など利用者側のモラルや人間性の育成に力を入れるべきとの声もありました。確かにそうですよね、仰られていることは非常によく分かります。私も一カウンセラーとして、非常に不甲斐なさを感じるところではあります。しかし、実際にご自身が性犯罪被害者となり心に大きな傷を負ったとしても、同じことが言えるでしょうか。これは白黒どちらか決着をつけるという問題ではありません。アプリの開発と同時に個人個人の精神的な成長にも並行して力を入れるべきであり、健全な社会の醸成を目指してあらゆる方面から協力し合いながら尽力することが必要なのですから、非難や誹謗中傷はそれ自体を妨げる行為となってしまっていますよね。社会の一員として世界でも稀に見る安全な日本での生活を享受しているのならば、自分には何ができるかを考える機会にしてもらえたらと思います。
 

 性犯罪被害者にとっては、事件を立証するため、被害者自身の気持ちを代弁する大きな助けになるでしょうし、耐え難い孤独により誰でもいいからと相手を欲するタイミングがあるのもまた人間です。性犯罪というのはたとえ大人であっても被害を受けたことを他者には話せない場合も多く、幼い子供なら尚更です。事件として公表されている数字よりも実際には驚くほど多くの犠牲者がいる実は身近な犯罪なのですから、誰もが我が事として問題意識を持ち危機管理できるようにならなければならないのです。アプリを実際に使うかどうかではなく、その議論のきっかけを作ってくれたのだとしたら、それだけで大きな役割を果たしたと言ってもいいのではないでしょうか。
 

 アプリはきっとこれから何度も改良が重ねられていくのでしょう。私もカウンセラーとして、これまで以上に多くの方のお悩みに寄り添い、日本社会全体の心理的成長に寄与できるよう尽力していきたいと思います。そして1人の親としても、子供達が安全な暮らしを自分たちの手で実現していけるよう、私の持てる全てを注ぎこみ向き合っていく所存です。

ケチをつけるよりやるべきこと2
ケチをつけるよりやるべきこと2
ケチをつけるよりやるべきこと3
ケチをつけるよりやるべきこと4

2023/12/06

論破王が論破されたと喜ぶ人のもの悲しさ

 “論破王”ひろゆき氏が、立憲民主党所属の米山隆一衆議院議員により論破されたと話題になっています。世間のニュースに疎い私としては、阪神タイガースが38年ぶりに日本一に輝いたのと同じくらいの盛り上がりを感じています。 

 番組の配信以降もXなどでそれぞれに応戦が続き、一般の方のコメントなどでも、ここぞとばかりにひろゆき氏に牙をむく聴衆が噴出しています。ReHacQ−リハック−という番組はビジネス動画メディアということではありますが、いわゆる『プロレス』であるというのが私の認識です。ひろゆき氏は制作側の求めるヒール役を全うしておられ、誰にでも簡単にできる仕事ではないため、絶対王者陥落とここまで世論を賑わせることができるのは凄いな、と一視聴者として楽しませていただきました。

米山議員も、今回の出演を機にメディアに連日取り上げられ、ご自身のセルフプロデュースが望む方向に動いておられるようで何よりですよね。 

 米山議員が何度も仰られているように、過ちは誰でもあります。過去にどのような失敗をしようと、何度だって再起できる社会であって欲しいと思いますし、反省し成長していくことに人としての生きる意味がある、と私も思います。公職にありながら売春をしていたという過去は消えませんし、恐らくどのような功績を残されたとしても消えないレッテルを背負って生きていかれるのであろうと想像します。そういう意味において、ご自身の人生脚本に翻弄されながらもくじけずに奮起され、政治の世界で国民のために尽力すべく奮闘されるお姿に感銘を受けると同時に、ご自身の望む場所までたどり着き、多くの方に勇気を与える存在になっていただければと願います。 

 さて、番組を拝見した一視聴者としての私の感想ですが、「議論になっていないのではないか……?」でした。ひろゆき氏の知識が乏しいと揚げ足を取り、論点をずらしているのはむしろ米山議員だったのではないでしょうか。私も保険制度には詳しくありませんが、米山議員の思案が実現したとしても、それで劇的に私たちの生活が改善されるという具体的なイメージをするのは簡単ではありません。大掛かりな政策で大変革を起こそうとされているのであろうことは伝わってきました。しかし、高齢者ドライバーの事故抑止のため免許返納が推奨されながら、車で行ける範囲に病院を、と言われたら混乱する高齢者は多いはずです。そういった一般感覚からの投げかけをひろゆき氏がしてくれたにもかかわらず、「知識もないくせにくだらないこと言いやがって」「お前のやり方は間違ってる」と上から抑えつけて自分の土俵で話を進めようとする強い大人の姿、皆さんもどこかで見たことありますよね。10代の思春期の頃に親や教師に対して感じた憤りを思い出された方も多かったのではないでしょうか。

 米山議員は非常に知性が高く、熱心に学んでおられる勤勉な方なのだとお見受けしました。今回ご説明された政策はきっとこれまでにない画期的なものなのでしょう。それにより我々の生活がビビッドに変化するかは……ですが、それはさておき、有権者の声を代弁する一般人代表のひろゆき氏からの投げかけにより米山氏の方がCPが上がり反応していたのは明らかですし、「何も知らないくせに」「私はあなたが嫌い」というコメントはそのまま一般の有権者に向けられたものなのだと私は解釈しました。この方は我々有権者のことをそういうふうに見ているのか、と。ひろゆき氏がインフルエンサーだから一般人ではないという定義ではなく、少なくともあの番組で彼に求められる役割は、視聴者が知りたいことを引き出す担当、なのですから。単に政策が垂れ流され、政治家の表側の顔を視聴したいわけではないので、場外乱闘にまで発展させ世間を賑わわせたというのは、番組の制作者もひろゆき氏もプロフェッショナルの一言に尽きると思いました。

 報道から番組を見る機会をいただけたこと、米山議員の政策やプロレス愛好家の多さを知れたことは大変有難く、私にとっては新しい世界でした。
よろしければ皆さんもぜひご覧いただき、どう感じ何を思うのか、考えるきっかけにしていただけたらと思います。

論破王が論破されたと喜ぶ人のもの悲しさ2
論破王が論破されたと喜ぶ人のもの悲しさ2
論破王が論破されたと喜ぶ人のもの悲しさ3
論破王が論破されたと喜ぶ人のもの悲しさ4

2023/11/28

食中毒マフィンは過重労働がもたらした産物か副産物か

 都内のイベントで販売された焼き菓子による食中毒事件への非難が相次ぎ、製造販売元は閉業を発表。返金対応の窓口となっていたSNSも削除されるという事態にまで追い込まれました。

 

 お砂糖も少量で防腐剤・添加物不使用の体に優しいお菓子となれば、健康に関心の高い方々にとっては嬉しい商品です。豊かな食文化を持ち、高い衛生観念を持つ現代の日本においてもなお、年間を通して1000件前後の食中毒が発生しており、意外と身近な事件なのですが、その中でも今回のケースばかりがことさらに取り上げられるのは、「小さな子供でも安心して食べられるよう苦心して開発したのであろう」という消費者から店主への同情や期待、信頼などといったプラスの感情を踏みにじり“心理的に傷つけた”形となったことが、ここまで騒動が大きくなってしまった要因の1つなのではないでしょうか。同じような商品を製造販売する同業の方々への影響を考えても、食品衛生に関する知識の乏しさをもたらすこととなった責任感と当事者意識の低さが、非常に残念でなりません。

 

 報道を見ていると、育児の傍らワンオペで店を切り盛りし、イベントの5日程前からマフィン3000個分の仕込みをしていたとのことでした。お子さんがいらっしゃるにもかかわらず定休もままならないなか、睡眠時間を削ってまで1人で頑張ってきたのに、このような望まない形で営業がストップし、クレームや返金対応に追われる店主の苦悩を思うといたたまれない気持ちになる事例ですよね。
 
 

 家事も育児も1人で背負いこみ定期的にダウンする母親、バイトの仕事まで肩代わりしてサービス残業する会社員、受注し過ぎて過労で倒れ納期に間に合わない自営業者など、似たような方が皆さんのお近くにもいらっしゃるのではないでしょうか。 
 これは、いわゆる心理ゲーム『苦労性』を周りの人々に対して仕掛けているものと考えられます。自分がどれだけ無理して頑張っているのかを全身から醸し出すことで、相手の同情や罪悪感を誘う、自分への評価を甘くしてもらうなどの様々な無意識の意図から発生していきます。

 

 心理ゲームは、人間関係のトラブルを招く不快で自滅的な交流パターンですが、実は誰もが無意識に日常的に行っています。トラブルを招くのなら初めからやらなければいいようなものなのですが、良好な人間関係が築けておらず、他者との健全なコミュニケーションが図れていないと、刺激の強いかかわりを求めて無意識に発動してしまいます。様々な種類があり、過去の経験から上手くいったと思い込んでいるやり方を、延々と繰り返し乱用し続ける場合も多いです。

 

 先に触れた苦労性のゲームは、過大な苦労を背負い込んだ結果、破綻して周りに迷惑をかけるというものです。幼少期からの影響による完璧主義や強迫観念によりもたらされると考えられています。心理ゲームは相手を自分の思い通りにコントロールしようという無意識の隠れた意図があるため、ゲームを仕掛けられた側は、必ず苛立ちや虚しさなどのラケット感情を味わうことになります。そして自滅的な交流パターンであるため、仕掛けた側の思惑通りにはいかず、結局失敗し『私はダメだ』という自己嫌悪を再確認する屈辱的な結末を迎えます。



 

 当該店主としては、自己実現に向けてなりふり構わず必死に走ってきただけだったのかもしれません。しかし、強烈なドライバーに駆り立てられ夢中で加速していく中で、家族などの大切な人間関係がおざなりになり、ちゃんとできない自分を責め、もっと完璧にやらなければと無理を重ねる、という悪循環に陥っていったのだろうと推測します。
 
 「私がこんなに苦労しているのに」とアピールすることで産物としては第三者からの同情や称賛が得られたとしても、本当に欲しい人からの愛情や信頼が貰えないだけでなく、自分が築いてきたものを一瞬で全て失うことになるなんて、副産物の方が大き過ぎますよね。だからこそ自分の力量を理解した上で、生産的な結果が得られる自分なりのやり方を模索していかなければならないのです。



 

 当事者が今回の件による被害規模をどう受け止めるか、これを重要な節目として、内省して学び、より良い方向へと成長していけるよう、また新たな第一歩を踏み出されることを心から祈っています。

食中毒マフィンは過重労働がもたらした産物か副産物か2
食中毒マフィンは過重労働がもたらした産物か副産物か2
食中毒マフィンは過重労働がもたらした産物か副産物か3
食中毒マフィンは過重労働がもたらした産物か副産物か4
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